色彩の情景
雨の色 - RainyBlue -
色が生まれる、その瞬間を綴る。
特別な色には、特別な物語があります。
yuhakuでは、限定色を発表するたびに、
その色が生まれるまでの“情景”や“想い”をひとつの記録として残していきます。
染色を担う職人やデザイナーの声、
制作の裏側で交わされた言葉や、手の中で育った色彩の記憶──
それは単なる色見本ではなく、
ひとつの色が完成するまでに積み重ねられた“時間”と“感情”の記録です。
このページでは、そんな色の背景にある静かなドラマを、
言葉を通してお届けしてまいります。
雨は何色だろう
皆さんは「雨」と聞いて、何色を連想しますか?
五月雨、白雨、時雨、凍雨……。
日本には、なんと400種類以上もの雨を表す言葉があると言われています。
身近なところでは、お天気雨を「狐の嫁入り」と呼んだりもします。
先日、実家の家族から「天気雨で虹が見えたよ!」と連絡がありました。
「あら、そちらでも狐の嫁入りなのね。うちの方もだよ。めでたいね。今夜はきつねうどんでも食べておこうか」
そんなやり取りをしたものです。
七夕に降る雨は「洒涙雨(さいるいう)」と呼ばれます。
天の川が掛からず会えなかった織姫と彦星が流す涙だと伝えられていますが、大雨だった年には思わず二人に同情してしまいます。
洒涙雨も狐の嫁入りも、どこか物語性があって楽しいものです。
自然科学が今ほど身近ではなかった時代、人々は雨に名前を与え、情景を重ね、雨そのものを楽しもうとしていたのかもしれません。
雨はなぜ青いのか
では、現代を生きる私たちは雨をどれくらい楽しめているでしょうか。
まずは観察しないことには嗜みは始まりません。
改めて冒頭の問いに戻ります。
「雨」と聞いて、何色を思い浮かべますか?
おそらく多くの方は、水色や青、あるいはグレーを思い浮かべたのではないでしょうか。試しに「雨 イラスト」と検索してみても、雨粒は水色で描かれているか、背景が青く、白い線で雨が表現されています。そして私たちは、その描写に何の違和感も覚えません。
不思議なことです。
いつから私たちは、雨は水色だという共通認識を持つようになったのでしょうか。
現実には、雨が降っても空から青い幕が降りてくるわけではありません。赤い看板にも、黄色いレインコートにも、雨は等しく降り注ぎます。
それなのに絵になると、まるで青いフィルターが掛かったような景色になるのです。
気になって、幼少期に描いた絵を見返してみました。すると、そこには自信満々に描かれた水色の縦線が並んでいました。横にはピンク色の傘を差した女の子。つまり、その水色の線は紛れもなく雨だったのです。
きっと当時見ていた絵本や教育番組の影響でしょう。
一度「こういうものだ」と思い込むと、それを疑わなくなる。
イメージの力とは本当に計り知れません。
海が青く見えるから水も青い。
そして雨もまた水色で表現される。
その原点は、もしかすると海のイメージにあるのかもしれません。
本当は、雨は何色なのだろう?
本当は、雨は何色なのでしょう。
水は決して水色ではありません。海もまた、海水そのものが青いわけではなく、太陽光のうち青い光だけが散乱・反射して私たちの目に届いているに過ぎません。
それでも私たちは、「海が青くて綺麗だ」と素直に感動します。
そして見えていない色をイメージで補いながら、雨もまた水色だと思い込む。
脳とは何とも都合が良く、身勝手で、そして愛すべき存在です。
雨を楽しむ話のはずが、いつの間にか脳の不思議の話になってしまいました。
今回の限定カラーは、脳ではなく――
雨がテーマです。
革に刻まれた雨
革に染料を用いて染色するyuhakuの技法において、切っても切り離せない存在があります。
それが「トラ」です。
牛が生前、頻繁に動かしていた肩や首まわりには独特の筋模様が形成されます。鞣され革になった後も、その痕跡は残り続けます。
透明感のあるyuhakuの染色では、この筋模様もそのまま製品に映し出されます。
職人たちは完成した姿を思い描きながら、どこにどのようなトラが入ると美しいか。そのバランスを見極めながら型入れを行います。熟達した目と経験が求められる、まさに職人ならではの仕事です。
しかし、ある時こんな声が上がりました。
「もっとこのトラを活かせないだろうか」
繊細なグラデーションと生命力あふれる筋模様。
その共存は紙一重でした。
トラを雨に見立てる
トラは本来、牛が生きた証です。一つとして同じ模様はありません。
草を食み、歩き、寝転び、生きた時間そのものが革の表面に刻まれています。
私たちは、その生命の痕跡を祝福するような染色ができないかと考えました。
トラがあるからこそ成立する染色。むしろ、トラがなければ完成しない表現。
そんな挑戦が始まりました。
ところが、アイデアはそう簡単には降ってきません。トラの入った革を眺めていた時、
「青系の限定商品にするし、レイニーブルーなんてどう?」
という言葉をいただきました。
商品に対して縦方向に走るトラを雨に見立てる。
レイニーブルー。
なんて素敵な発想だろう。
そう思った次の瞬間、
「でも、雨って青くないよな……」
という葛藤が始まったのです。
白い光線を滲ませて

青い革に青い線で雨を描く。
それでは違う気がしました。
固定観念に負けたくなかったのです。
では雨は灰色なのか。
それも違います。
灰色の雨が降ったら異常気象です。
そんな時、作家・円地文子の小説『妖』にある、「白い光線を滲ませて降る雨」という一文を思い出しました。
そうだ。
雨は透明であり、光を反射するから白く見えるのだ。
当たり前のようでいて、改めて気付かされた瞬間でした。
雨粒が落ちる様子をスローモーションで見れば、光の角度によって様々な表情を見せるでしょう。
革の表面に浮かび上がるトラの凹凸もまた、光によって見え方が変化します。
まさに雨そのものです。
雨の景色を革の上に
そこで今回のレイニーブルーでは、あえてグラデーションのコントラストを穏やかにしました。
主役は色ではなく、トラ。
見る人は革を傾けながら、「この陰影は何だろう」と自然に光を追うことになります。
トラのない革では成立しない表現です。
そして色彩は、手前に青緑、奥に紫を配置することで、雨の日の空気感と奥行きを演出しました。
トラの陰影。
光の反射。
静かなグラデーション。
それらが重なり合うことで、青を基調とした雨の景色が完成しました。
牛が見ていた景色
牛は二色型色覚を持ち、主に青系と緑系を知覚すると言われています。
もしかしたら、牛が眺めていた雨の日の景色も、このレイニーブルーのような色彩だったのかもしれません。
私たちのアトリエには革が沢山あります。
けれど、牛はいません。
だからこそ私たちは、「命をいただく」という意識を忘れずにいたいと思っています。
革に残るトラを見つめながら、その命の尊さや、生きていた時間に思いを馳せる。
それもまた、天然素材と向き合うことの一つではないでしょうか。
雨が降ると、私たちはそこに存在しない青い幕を見ることができます。
透明な水を水色だと思い込むこともできます。
ならばもう少しだけ想像力を働かせて、牛が見ていた景色を感じてみてもいいのかもしれません。

雨の色は一つじゃない
時間は一方向にしか流れません。
だからこそ「想う」という行為は、彼らの存在と生命に対する、私たちなりの祝福なのだと思うのです。
雨の日にふと空を見上げた時。
革に浮かぶトラの陰影を眺めた時。
そこに青い雨を見るのか、白い光を見るのか。
あるいは牛たちが見ていた景色を想像するのか。
その答えは人それぞれです。
このレイニーブルーが皆様にとって、
雨という身近な情景を少しだけ新しい視点で眺めるきっかけになれば幸いです。
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色の裏側を紡ぐ
染色職人
yuhakuが作る雨の色彩を、ぜひお楽しみください。
