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2021.01.01

日々の暮らしを彩るプロフェッショナルの仕事術 vol.9

「逆境に打ち勝つための武器は、“想像し創造する”こと」

yuhaku 代表取締役 仲垣友博

 

 

日本を代表するクリエイターをゲストに招き、独自の仕事術を伺う本連載。第九回はyuhakuの代表である仲垣友博氏。絵画技法を元にした革の染色技法を編み出し、独自のグラデーションカラーで靴や鞄、財布などを染め上げるyuhakuのアイテム。試行錯誤をしながらたどり着いた現在のスタイルをさらに深化させるべく、今年12月には直営店を銀座にオープンさせるなど、コロナ禍の中にあっても果敢にチャレンジを続けている。これまでの歩みと、これからのあるべき姿とは。

 

Index

1. Work
2. Interview
・アルバイト時代にデザインした靴が大ヒット
・独学だからこそ、人の3倍努力する
・チャンスを掴んだと思った矢先の大ピンチ
・真似されない“ブランドの強み”の作り方
・コロナ禍で直営店をオープンさせられた理由
3. Column 日々を彩るプロフェッショナルの愛用品
4. Goods 愛用するyuhakuのアイテム
5. Profile

 

Work

 


 

interview

 

「逆境に打ち勝つための武器は、“想像し創造する”こと」

 

アルバイト時代にデザインした靴が大ヒット

 

仲垣さんが歩んできたこれまでの約20年間は、ターニングポイントの連続でとても目まぐるしい。ネガティブな出来事も、いつの間にかポジティブに変わっている不思議さがある。まず最初のターニングポイントとなったのは、大学を中退して絵描きを目指したことだった。
 
「大学では建築を学んでいたのですが、構造計算などの小難しい分野が性に合わず、美術の授業が楽しかったこともあり、半分辞める口実を作るような形で、絵描きを目指すことにしたんです」と仲垣さん。絵は特別上手い訳ではなかったというが、ものづくりは得意だった。
 
「実家が金属加工の工場を営んでいて、さらに母方の祖父が大工だったこともあって、“作る”というのが当たり前の環境で育ちました。なので実は絵よりも立体の方が得意。絵と一緒にキャラクターを粘土で成形した作品なども作っていて、アートイベントに出展したりしていました」。
 
しかし、もちろんそれで食べていけるわけではなく、生活のためにとあるシューズブランドでアルバイトを始める。百貨店内の販売員として店頭に立ちながら創作活動を続けていたある日、バイト先の上司から、思いもよらない話を持ちかけられた。「絵を描いているなら、靴をデザインしてみないか」――。この一言によって仲垣さんの人生が大きく動いていく。
 
コンセプトはすぐに思い浮かんだ。当時流行っていたブーツカットのパンツに似合うブーツが無かったため、それに合う新しい形の靴。ウエスタンブーツをベースにしたその靴は、トゥの先が尖っており、ヒールは高めで、それでいて脱ぎ履きがしやすい工夫がされているのが特徴。まだ世の中になかった仲垣さんのデザインはすぐに採用されたばかりか、なんとファッションシーンに一大ブームを巻き起こすほどの大ヒットとなった。
 
その理由について仲垣さんはこう分析する。「当時、僕はさまざまなブランドが同じフロアに並べられている“平場”という形態の売り場でスタッフとして立っていました。そこでお客さんのリアルなニーズやトレンドの流れ、何が売れて何が売れないのかということを身をもって理解していたことがよかったのだと思います」。
 
当初、会社の売上は3億円ほどだったのが、その靴のヒットを皮切りに、在籍中になんと約20億円の売上まで成長を遂げた。「ただ悔しかったのは、より知名度のあるシューズブランドに模倣され、逆に自分のデザインがそのパクリだと言われてしまったこと。こんなに悔しいことはありませんでしたね」。

 

独学だからこそ、人の3倍努力する。

 

 

手がけた靴がヒットしたことで本社勤務となった仲垣さんは、より深く靴づくりに関わっていくことになる。自分でものづくりをしたいという気持ちが芽生えはじめたのもこの頃だったというが、具体的なきっかけは何だったのだろうか。
 
「当時は素材の選定もまかせてもらっており、革屋さんにも頻繁に足を運んでいました。そこで仲良くしてくれていた革屋さんの1人がある日、間違えて発注してしまったから使ってくれと、まるまる1枚譲ってくれたんです。けっこう良い革で、『これで何かを作ってみたい』と思ったのが、ものづくりに興味を持ったきっかけでしたね」。
 
そこから、仲垣さんは趣味として革小物の製作を始める。一番最初に作ったのは、販売スタッフとして店に立つ時の必需品であるメモ帳とペン、携帯電話を収納しておくためのホルスター型ポーチだったとか。そしてこの頃になるとようやくインターネットが普及し始め、革小物の作り方も独学で学びながら、少しずつスキルを磨いていった。

そろそろ作業場が欲しい。そう考えるようになった折、同僚だった友人と一緒に工房を作ることに。横浜市内のガレージハウスを借り、友人が1階のガレージでバイクのカスタム、仲垣さんはメゾネットの2階で革小物の製作。
秘密基地のようでワクワクした。この頃はまだ独立は考えていなかったという仲垣さんだが、その考えを180°変えたのが、何を隠そう、この友人の言葉だった。
 
「友人は自分より先に独立してバイクのカスタムや溶接の仕事をしていたのですが、ちょっと嫌味っぽく『独立って大変だよ。お前にやれるもんならやってみろよ』というようなことを言われたんです。そこでカチンときて、じゃあ俺も独立してやるよ! っと火がついてしまったんですね」。
 
こうなってしまっては仲垣さんも引き下がれない性格。会社を辞めるまで引き継ぎに1年近く掛かってしまったが、その間にも人の3倍努力をしようと決め、平日は仕事の後に夜中まで、休日は一日中工房に籠り、ものづくりに没頭した。
 
「当時はオーダーメイドで鞄や小物を製作していました。早く上達したかったので、あえて自分から技術的に難しい提案をしたりして。時にはそのせいで手一杯になってしまうこともありましたが、お陰で鍛えられましたね」。
 
自力で製作したホームページ経由での依頼も増え、効率も意識しなければならなくなった。後にyuhakuの武器となる染色が生まれたのは、そんなときだった。
 
「受注数が増えるとネックになってくるのが革の色です。毎回お客さんの要望に合わせて色やデザインを決めるため、染色済みの革をストックしていたのでは場所を取るし、非効率。また、自分の好みの色の革が少なかったこともあり、色の入っていないヌメ革と染料を用意しておいて、オーダーに合わせてその都度染めるという方法を思いつきました。こうすることで既製品にはない色も作れます。ただ、単色で染めるのは結構難しく、いろいろと試行錯誤をしていくうちに、色を重ねるグラデーションが生まれ、ここからyuhakuの手染めが始まっていきました」。

 
 

チャンスを掴んだと思った矢先の大ピンチ

 

 

「ようやく人並みに食べていけるようになったのは、独立から1年ほどが経ってから。車のカスタムメーカーのオリジナルバッグを量産するということになって、それでようやく。そして、もっとデザインを売りにしていくんだという気持ちで参加したのが、ドイツで行われる展示会でした。当時は『ameno spazio』というブランド名を付けていたのですが、「海外に持っていくのにイタリア語ってどうなの?」と友人に言われたことがキッカケとなり、雅号として使用していたユウハクから、yuhakuが始まりました」。
 
ただ残念ながらドイツでの結果は奮わず。yuhakuとして最初のターニングポイントが訪れたのは、そこから一週間後に日本で行われた合同展示会でした。初出展にして伊勢丹での取り扱いが決まったのです。
 
さらに約1年後に、第二のターニングポイントが訪れた。「アルチザン」や「コムサ」で知られるFIVE FOXesから受注会の話が舞い込んだのだ。そこでなんと、1つ10万円する鞄が100個以上も売れ、これがきっかけで一年間の独占契約を結べることになった。
 
「年間で1億円の発注をしますという内容で、天にも昇る気持ちでした。いよいよ夢を掴んだと。さっそく銀行にお金を借り、人を増やし、機械も入れ、量産体制を整えました。しかし、準備万端となった時、なんと東日本大震災が起こったんです。既存の卸先だった百貨店もクローズしてしまい、独占契約の話も、受注済みの分を最後に取引中止となってしまいました」。
 
途方に暮れながらも数ヶ月後に展示会があることを聞きつけ、なんとかそこに賭けるしかなかった。「それで結果が出なければ、会社を畳もうと本当に思っていました」と仲垣さんは当時の心境を振り返ります。当時のメンバー5人で、とにかくサンプル作りに取り掛かった。しかしそんなどん底にあっても、助けてくれる人がいるのは仲垣さんの人徳か。革小物の営業を30年以上も経験している知り合いが強力な助っ人となってくれた。
 
「以前その方が『何かあれば手伝ってあげるよ』と言ってくださっていたのを思い出し、頭を下げて、知り合いのバイヤーさんを展示会に呼んでいただきました。その方自身も会場で熱心に宣伝してくださり、その甲斐あって次々に百貨店との契約が決まりました。投資した量産体制があったことで、量産ができ、最大のピンチを乗り切れました。しかし、不運はまだ続きました……」。

 

真似されない“ブランドの強み”の作り方

 

 

仲垣さん曰く、初期のyuhakuは“ものづくり集中型”。「多くを語らず、物の良し悪しだけで判断されるということを意識したものづくりを心がけていました」。経営というよりも、職人として手を動かし続けることで、商品の質を高めてゆく。そこに美学があった。しかしそれは同時に、仲垣さん自身の考え方や、yuhakuのフィロソフィーが社内に浸透しづらいというデメリットがあった。
 
百貨店数十店舗との契約が決まり、なんとかyuhakuも軌道に乗ってきたところだったが、皮肉にも直後に起きた交通事故によって、そのことを実感することになる。
 
「移動中に信号無視をしてきた車に追突され、その後遺症でものづくりがままならなくなってしまったんです。作業に集中していると頭がクラクラしてしまうため、ほとんどの作業を人にお願いする必要がでてきました。しかし、それまでは自分も目一杯手を動かしていたので、うまく回らないんですね。さらに追い討ちをかけるように友人を突然亡くすということを経験し、死を身近に感じたことで、ますます自分が積極的に手を動かすことはやめなければならないと考えるようになりました。そうしてやっと、経営というものに意識が切り替わっていきました」。

自分に何かあっても、会社として機能するような土壌を作っていかなければならない。そのためには、まず職人を育て、yuhakuというブランドの強みを確固たるものとする。そして、販路は百貨店だけに頼らず、ECにも力を入れていくことで、自分たちで商品を売れるようになることが必要だと考えた。
 
「そのときのビジョンとしてあったのは、yuhakuの強みである色がなくても、戦えるデザインと品質を目指すこと。色を売りにするブランドは他にもあるし、手染めによる色だけを売りにしていたのではいつか模倣されてしまいます。しかし、そこに品質が伴っていれば、そうそう真似はできなくなる。確かな品質という土台の上にyuhakuらしさである色を掛け合わせていくことで、yuhakuはより強くなれると確信したのです」。

 

コロナ禍で直営店をオープンさせられた理由

 

 

コロナ禍により、さまざまな業界がダメージを受けるなか、昨年12月、仲垣さんは銀座に直営店をオープンさせた。傍目にはとても無謀なチャレンジに見えるかもしれないが、仲垣さんが思い描く未来のyuhakuの姿を知れば、むしろ納得の一手だと思えるはずだ。
 
「コロナ禍では、多くのインプットとアウトプットを繰り返すことで、これまで出来るときにやろうと思っていたことを一気に加速させてきました。その一つが、もともと来年の春から夏ごろを予定していた直営店のオープンです。なぜ早めたのかというと、今後はお客さんとの接点がより大切な時代になっていくと考えたからです。これは数字が物語っていて、コロナ禍で百貨店への卸売りは激減しましたが、横浜店は売上げが落ちることなく、また、大丸の店舗では一度売上げが下がってしまったものの徐々に回復。コロナ禍の中、前年比で100%を売り上げる月もありました」。

百貨店をはじめ、服飾関係が大打撃を受けている中、一体なぜか。「実店舗やEC、SNSを通じて、自分たちの言葉で理念をしっかり伝え、理解を深めてもらった上で購入していただくということを、実直にやってきたからだと思います」と仲垣さんは言う。コロナ禍にあえて繰り上げて直営店をオープンさせる必要があったのは、百貨店離れが進む中、お客との接点を増やすためだったのだ。そのための販売員育成にも注力してきたそうだ。

 

 

「よく、yuhakuを1本の木に例えます。幹と根っこに変わらない理念があり、スタッフ一人ひとりの個性が枝葉として伸びていく。そして、その枝の先に新しいyuhakuの商品が実としてなっている、そんなイメージです」。
 
そこで重要になるのが、幹と根っこにあたる部分。つまり仲垣さんの考えや理念を言葉でわかりやすく伝えていくことだ。「具体的に何をしたかというと、ブログと社内向けのYoutubeを始めました。自分の中にあるものをアウトプットし、共有していくことで、それまでとは明らかに雰囲気が変わったと思います」。
 
予期せぬ事態にも的確に対応し、常に前向きに改善してきた仲垣さん。そこに共通するのは、“想像し創造する”という理念だ。小さなヒントを見逃さず、日々のアップデートを欠かさなかったからこそ、今のyuhakuがあるのだろう。最後に、これからのyuhakuについて展望を訊いた。

「目下の取り組みとしては、yuhakuの職人たちに対して、社内にいながら独立を疑似体験できるようなプラットフォームを作っていこうと考えています。具体的には、業務時間外で製作したものに自分で値段を付け、売ることができ、給料とは別に売上が分配されるような仕組みです。一人ひとりがより自覚を持って何かを生み出していくことが、yuhakuの成長にも繋がっていくと信じています」。

 

Column

 

日々を彩るプロフェッショナルの愛用品

 

プロフェッショナルたちが普段持ち歩いている必需品や仕事道具を見せていただきながら、モノに対するこだわりを紐解く。
 
着こなしに華を添えるyuhakuの色鮮やかなアイテム。それが最も相乗効果を発揮するのは、モノトーンの服に小物で色を差す、そんな色気のある着こなしだ。何を隠そう、それは仲垣さん自身のスタイルでもある。今回見せていただいた10点の愛用品にも、それが如実に表れている。

 

SUZUSANのニット
「yuhakuとして初めての展示会だったドイツで、同じ会場にブースを出していたもう1人の日本人。そのブランドがSUZUSANでした。当時アパレルはやっていなかったのですが、10年後に再会したときの展示会で一目惚れ。有松鳴海絞りという愛知県の伝統的な染めの技法を用いて作られています」

 

Koji yamanishiのハット
「帽子は20個ほど持っていて、季節などによって使い分けています。つばが広い帽子は、トレードマークであり、お守り的な存在。ヨーロッパ圏に被って行った際、牧師と間違われたからか、危険な地域でもスリなどに全く遭わなかった経験があり、それからいつもお守りのように被るようになりました」

 

HERMESの香水「ナイルの庭」
「もともと香水は好きなのですが、これはyuhakuのペルソナがつける香水は? というテーマでたどり着いた香り。爽やかで、少し畳っぽい落ちつく香りなのが好み。いつも帽子の中にシュッと振りかけて使っていて、これでもう3本目になります」

 

MACINTOSH PHILOSOPHYの折り畳み傘
「妻からプレゼントしてもらった大切な傘で、わざわざ自分好みのグレーのものを探してくれたのだそうです。とても軽いので、晴れの日に鞄に入っていても全く気にならないっていうところもお気に入りのポイントです」

 

SONY α7RⅣとCarl Zeiss Otusのレンズ
「写真は前から好きでしたが、より好きにさせてくれたのがこのカメラとレンズです。特にレンズは、もうこれ以外を使えないくらいのお気に入り。マニュアルフォーカスで、重いしデカいんですけど、表現力は圧倒的です」

 

yuhakuのカード&コインケース(カスタム)
「現金はあまり使わないので、カード数枚と折り畳んだお札を入れておけば、普段の通勤はこれひとつで済んでしまいます。これは(YVE150)を試作品としてカスタムしたもので、iPhoneケースの裏にスナップボタンで留めています。スタンド代わりにもなるので意外と便利。要望があればお作りすることも可能です」

 

yuhakuのLジップウォレット(YLO124)
「光と影のコントラストにフォーカスしたLuce e OmbraシリーズのLジップウォレット。この財布は自分が一番使いやすい形を目指して開発したもので、左手で持つと、右手でお札、コイン、カードなど全てをスムーズに取り出せるような配置になっています。領収書などを入れるのに丁度いい隠しポケットも備えていながら薄いというのも魅力。もう4年ほど使い込んでいます」

 

yuhakuのサコッシュ(YFI044)
「フラワーアーティストでUNITED FLOWERS代表の田中孝幸さんとのコラボで生まれたThe Art of Flowerシリーズのサコッシュです。カラフルな部分はナイロンでできているので、実際に使ってみると軽いのもメリット。スマホ、名刺入れ、キーケースなど、自分が普段持ち歩くものを全部収納できる、ちょうどいい大きさが気に入っています」

 

yuhakuの2wayショルダーバッグ(YFF047)
「こちらもThe Art of Flowerシリーズのもの。専らカメラを持ち歩く際のカメラバッグとして活躍してくれています。頑丈なので、重いツァイスのレンズをいれでもびくともしません。肩掛けのほか、縦横2通りの持ち方ができるので、荷物が多くても少なくても、型崩れせず、美しい形のまま持つことができます」

 

yuhakuのメダリオンシューズ(YSH7387)
「花束に見立てて染色した鮮やかなメダリオンシューズです。大事な商談の際など、自分の中でピシッとしたいときに履く、正装用の靴です。yuhakuの色を紹介するときにも、言葉で説明するよりもこれを見てもらえれば一発で理解してもらえるという意味でも、思い入れのある靴ですね」

 

Goods

 

愛用するyuhakuのアイテム

 

YLO124 L字ファスナーウォレット

商品番号:YLO124
カラー:Green

 


YFI044 サコッシュ

商品番号:YFI044
カラー:Bloom

 


YFF047 2wayショルダーバッグ

商品番号:YFF047
カラー:Green

 


YSH7387 メダリオンシューズ

商品番号:YSH7387
カラー:Blue Multi

 

 

Profile

 

yuhaku 代表取締役

仲垣友博

 

1976年生まれ、福井県出身。株式会社ユハク代表。2006年、ビスポーク(受注制作)の靴、鞄、革小物などを製作する工房「ameno spazio」を設立。2009年、株式会社ユハクに改組。絵画技法を元に染色技法を開発し、独自のグラデーションカラーを生み出した。

 

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